嫉妬は恋じゃあない。束縛は愛じゃあない。ただの女の子の日記。
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今後の展望
2016-05-25 Wed 19:01
こんにちは。涙です。

最近やけにここのブログの活動が活発だなあとお思いの方も多いと思います。
先月なんて4回しか更新していなかったのに、今月はなんと20回。
モチベーションが上がったのもそうですが、
将来の展望として、ブログ活動によって多少の収入を得られるようになるのもいいなと思い、
今はその練習期間というか、どんな感じでなら記事を書いていけるのか、そもそも現実的に可能なのかどうか、考えている期間です。

今までは日記カテゴリーのブログとして
(最近までランキング参加が日記カテゴリー、サブカテゴリーが高校生のままでした!すみません。。)
それこそ9年に渡って(途中かなり頻度落ちたりしつつも)続けてきたわけですが、
これからこのブログのまま副収入を見込むのは厳しいかなと考えているところもあります。

それこそ高校生になる前から、学校生活の日常を綴ってきたりしてて
本当に長い間日記として運営してきたので
一回区切りをつけた方が良いのかなとも思っています。

二本立てでも良いと思うけど
そうなると多分こちらの更新が疎かになるだろうと思います。

カテゴリーを見ても分かりますが
最近の記事のカテゴリーと
過去の日記ブログ時代の色が濃いカテゴリーと
バトンや心理テストで遊んでた時のカテゴリーと…
カテゴリーが多すぎるんですよね。
単純に「カテゴリー多すぎ!ちょっと整理したい!」っていうのもあります。

ただ、新しいブログを作るとして
そのテーマも特に定まってるわけではありません。
ミニマリストなんて、それこそ今はブームの真っ只中でブログもたくさんあるだろうし
そもそもブログで副収入なんて誰しもが考えることだと思うし
私しか書けないようなことって多分無いのかなあと思います
私そのものは結構面白い人間だろうと自分では思っているんですけどね?

だからシンプルライフを模索する様子とか
ダニと闘う様子とかwww
色々とりあえずこのまま書いてみようかなあと思っています。

私自身飽きっぽいからね、
一つのテーマに絞ったとして、どこまで続くのか、どこまで記事の質が保てるのかもわからないのですよ。
一言でいえばまとまりのある面白いブログが作れる自信がない。

普通にぼーっと考えたことも書き綴りたいし
やっぱり出来るのはまたまとまりのないここみたいなブログだと思う。
そしたらこのままでも別に良くない?

…でも今までがいかんせん長すぎるんだよねえー!
だって最初とはほとんど文体も違いますよ!
9年も時間経ってるから!
15歳がもうすぐ25歳になるから!
メンヘラも患ってたの治ったりしたし
それでも中学生から社会人に変貌したし
正直昔の記事が恥ずかしい!

でも昔の記事があっての今のこのブログだと思いますし
ブログのタイトル「ice cream dropped.」も
副題「嫉妬は恋じゃあない。束縛は愛じゃあない。ただの女の子の日記。」も
9年間変えなかったし
(さすがにもう女の子っちゅう齢じゃあないんで、副題は変えようと思ってますけど。考え中)
家族の悪口書いちゃったりだとか、ちょっと問題のある記事は消したりしてきましたが
全部を全部消すこともできない。

ブログのタイトルも副題も、
今まで変えようとも思ってこないくらい
個人的には満足してたこと、
割と誇りに思っています。

昔の記事は恥ずかしいけど
その成長の軌跡を辿れるのも
このブログの良いところだと思いますので。

今は固定読者さんがどのくらいいるかわからないし
(昔はそこそこ人気で自分でびっくりしてました)
(最近はブログ解析とか全然してなくて…σ^_^;)
読者の数を増やそうと躍起になるつもりもないです。
とりあえずしばらくはこのままここにぼそぼそ書いていきますので
よろしくお願いします。

記事のテーマのリクエストとかあったら
書いてみますのでお気軽に是非。
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how to be 上品
2016-01-17 Sun 21:22
今日二回目の投稿ではございますが、
そして一回目も先ほど書いたばかりですが、
ふと思い立ったので書きます。

※今回の記事は偉そうなアドバイス口調です!気分を害するかもしれないのでご了承ください!

よく私自身「上品だね」とか「品があるね」と言われることが多いので、そのことについて。

ぶっちゃけて言いますが、
私はまさに上品になりたくてなりました。
生まれながらに上品だったわけではありません。
小さな時は悪ガキのおてんば娘でした。

上品になることとは、キャラを作ることとは違うかもしれません。
身につけるものですから。
キャラという言葉もあまり好きではありません。
目指したら必ず身につくものかもわかりません。向き不向きもあると思います。
そしてエッセンスは「上品になる方法」とググれば多分ありあまりほど出てくる、月並みなことです。

ズバリ一番大事なのは言葉遣いですかね。
合わせて仕草。
ノンバーバルコミュニケーションとか対人コミュニケーションとか、かじると必ず触れることですが、
多くの人は会話をする上で、言葉の意味内容のみでコミュニケーションをとっているのではなく、
表情や仕草、声のトーンなど様々な情報をインプットしながらコミュニケーションを取りますから、
言葉遣いを求めるなら同時に仕草なども変えていくほうが印象もちぐはぐにならずにいいと思います。

ただやっぱり一番のミソは言葉遣いですかね。
常に言葉遣いを綺麗に丁寧にせよと言うつもりはないですが、
必要な時にさっと綺麗で丁寧な言葉遣いをしても違和感のないふるまいを身につけなくてはいけないので、
そうなると日頃のトレーニングという意味で、割と言葉遣いや仕草を綺麗に丁寧にしようという努力は日頃からする必要があると思います。

「わかっています」「知っています」ではなく、「存じております」と言うことを想像した時、
自分は違和感がないかどうか、周りに違和感のない人はいるかどうか、
どんな人なら違和感がないだろうかと考えてみて、少しでも近づけるように、
「キャラチェン??wwww」と聞かれない程度に少しずつふるまいを変えていけば
きっと半年後には今より少しお上品な自分が!!
…いるといいですね。

コツは、綺麗な言葉を使うように心がけることよりも、まずは下品な言葉を使わないように心がけることですね。
なにか新しいことを始めるよりも、やめる方が簡単だし、
下品な言葉を使わないことにある程度慣れたら、
適切に敬語を使うことに慣れてみて、という感じで。

私があまり使わないようにしているのは「ヤバい」の乱用とか、「マジ」とか、「パナい」とか。
「~の方がマシ」という言い回しも、良くないよと母親に注意されてからは気をつけています。
知っているとつい口をついて出てしまうけれども、言い慣れることのないように心がけます…

丁寧にするっていうのはコツは簡単で、略さないでちゃんということ。(正式に略称が決まっている名詞などを除いて)
「ヤバい」は程度が極端であることを示す言葉だと思いますが、具体的にどのような状態なのかちゃんと言う。
(「凄い」も、「凄く○○である」と具体的に何がどう凄いのか示した方がベターだと個人的には思っています…)
「マジ」とは言わずに「とても」「すごく」「本当に」と言う。
「パナい」は「半端ない」と言えばいいし、
若者言葉で何でもかんでも略すのが面白いのだ、という暗黙のルールが若い人の間ではありますが、
上品さを求めるなら敢えて逆行した方が良いでしょう。
自分一人が若者言葉をあまり使わなかったからといって、凄まじく浮くなんてことはありません。ノリだけ合わせて笑っておけばOK。

上品になる方法などとググると、必ずと言っていいほど「言葉遣いに気をつける」「背筋を伸ばす」「綺麗な仕草をする」って出てきますが、
言葉遣いに気をつけるって、具体的に何をどうすればいいわけ!?って疑問に思って、結局なにも出来ずじまい、という人も多いんじゃないかと思って、
前よりも固定読者さんの減ってきた、寂れたブログで何を言うと思われそうではありますが、
自分への戒めも含めまして、書いてみた次第です。

私はもともと言語に対する興味が人よりも強いので、
言葉遣いや「正しい日本語」などに対して多分平均よりも多く考えるんです。
そういうことを考えるのが好きなんです。
だからこの言葉の感覚を活かして、音楽活動するときに作詞したりするんですが。
若者言葉を好んで使う人はきっと、
言葉に対するこだわりとかが私ほどではなくて、
でも今後の婚活市場や結婚後の親族との付き合いのことなどを考えると、上品さを身につけておいたほうがきっと良いだろうと考え、
でも具体的にどうすればいいのかがわからなくて焦ったり、
血迷ってお花やお茶を習い始めようかと考えてみたり…
なんて言う人は案外多いのではないか?と思ったんですよね。
別にお茶を習わなくても上品にはなれるよ。
と思ってなんとなく書きました。

そんな今日この頃。
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うたうたう
2013-03-01 Fri 00:51
今日は私が組んでいるロックデュオの写真を撮影をするために、海へ行ってきました。

撮られ慣れていないので、今回撮影してフィードバックを元に、あと1、2回くらいしたら本格的な撮影をできたらいいねと話しております。
私は普段からですが、カメラを向けられると特に口に力が入ってしまうので、もう少し力を抜いてできたらいいなと思います。
あと姿勢が悪いからね。
表情の作り方とかは悪いとは言われなかったからいいのかなぁ。

撮影の前後の移動中や食事中に今後の活動についても話していたのですけれども、
ふと、私はどうして歌うのかなーと考えました。

もちろん、歌うのは好きです。
でもそれならカラオケに行けばいいんです。

敢えてオリジナルという形で音楽活動をするのは、
意識的にも無意識的にも私の中に伝えたいことがあるのだと思います。

多分私が普段音楽を聴いていて
「このバンドは音は好みだけどイマイチ」とか
「なんとなくそこまで好きになれない」とか
そう思うときと思わないとき、
分けるのは「“何か彼らに伝えたいものがあること”が伝わってくるか」なのだと思いました。
だから歌唱力があっても、なんだか「歌わされているような感じ」があるアーティストは
あんまり聞き続けられないのだなーと思います。

多分ボーカロイド音楽も一緒なのかなと思うところが。
あくまで個人的な感想だし、中にはとても素敵な曲もあることは確かだけど、
でも「何かを伝えたいことがある」というよりは、
「作曲ができるかっこいい自分を伝えたい」ということが主なPが多いのかなって
最近はちょっと感じてしまいます。

歌や踊りは本能的なものなのかもしれないけれども、
もしも私たち一人一人が生まれたときから
親も兄弟も友達も一切の人間も一切の生き物もいないような孤独だったら
言葉も話さないし歌も歌わないんじゃないかと思います。
何かを伝えたいから言葉を話せるようになるし、
その他の表現とかもするようになるのかなって
何かを伝えたいのは伝える相手がいるからだからって
思ったり、でも、あんまり自信ないな。

暇な猫が走り回るように、
暇な人間はメロディーは口ずさむのかもしれない。
どうでしょうね、ずっとずっと、わからないことだけれど。

根拠はなくても自信を持つことは大切なのだそうなので、
ボーカルとして「私はボーカルです!」と胸を張って言えるようになりたいですね。
今はまだ自信がなくて。
カラオケで歌う曲にはアーティストっていうお手本がいるけど、
オリジナル曲を歌う時にお手本はいませんからね。
当たり前なんですけれども心細いですね。
こんな些細なことで、急にどう歌ったらいいかわからなくなったりもするんですよ。
頑張りましょう私。

作詞に関しては「うちの涙は作詞に関してはセンスをお持ちなので云々」と今日言っていただけたので、嬉しかったです。
この調子で厨二病こじらせていきます。

そんな今日この頃。
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みかた
2011-08-16 Tue 01:16
私は、誰かの話を聞いているときとか、基本的にその人の考え方とかが自分に害を与えない限り、否定はしないようにしています。

例えばバイト仲間さんが「バイトやめようと思ってる」って相談してくれたときとか、「さびしい」とか「悲しい」とかはもちろん口にします、それは、「私はあなたを大切に思っていました」という意思表示で。
でも、「辞めないで!!」とは、いえない。

他に例えるなら、極論、「自殺したい」と私に打ち明けてくれる人がいても、私は「死なないで!」っていえないと思う、いろいろ考えすぎて。
多分、いろいろ考えた結果、「私はあなたの痛みがわからないし責任も負えない、でも、許されるなら、死なないでほしいと思う」とか言うんだと思いますけど(笑)
まぁ、そんな相談はされた事がないのでわからないですね、、、。
これからもされないほうがいいのですけどね(笑)

なんというか、他の人の考え方を否定したくないというか、尊重したいというか。そんな気持ちで。


でも、それって、衝突を避けてるということ、ぶつかり合い(言い争いとかではなく、相手と自分の気持ちの照らし合わせ)から逃げていることになるのではないかと、ふと、心配になりました。

私は、それがその人の支えになるのならば、できるだけ私の好きな人(not only 恋愛)の味方でありたいと思っています。
それは、間違っていると思ったときは間違っていると思うと言うけど、でも何をしても最終的に嫌いになったりしない。その人がなにか失敗しても、力になれるなら支え続けたい。そんな状態であったら理想だと思います。
実際、私はそのようにして周りの人に何度も助けられてきたし。
代表的な例は、親ですよね。
たまに変わった環境のご家庭もあるようですが、でも、ほとんどの場合、この姿勢って家庭で育まれるのではないかと思います。

んーとなにが言いたいかわからなくなってきました。
自分、酔っております。

誰かを、嫌いにならないという保障は、ない。
もしかしたら人生が進むにつれて、それまで好きだったとしても、どうしても誰かを嫌いになってしまう事があるかもしれない。
だけど、私は、無意識ですが、「できるだけ味方でいたい好きな人」は選べているのではないか、と思います。
だから、最終的にその人がなにをしても、嫌いにはならないって自信を持って言えているのではないかな。
幸い、素敵な人が周りには多い。と、私は思っています。

好きな人を無意識にだってわざわざ選ばなくても、味方でいるポーズは簡単にとることができるのですけどね。
選ぶというのもそれはそれで残酷な事です。

でも、「この人と私はなんとなく価値観がずれているから、なにがあっても味方でいることはできないかもしれない」って、なんとなくわかるものなのじゃないかなー(笑)
とか、思っているわけです。

ちょっと考えをまとめてみようと思ったので書きました。あんまりまとまってはいない。いつものことです。
なにはともあれ、友達は大切にしたいですね。
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れでぃー?
2010-11-30 Tue 19:46
レディー・ガガのどこがレディーなのか、40字以内で私にわかるように簡潔に述べよ。




「リア充爆発しろ」

さて、この言葉は、最早流行語の域を超えた勢いで、浸透し、叫ばれているのである。
そして、
リアル=現実生活、が充実している、
という本来の意味は見失われ、
恋人がいる人=リア充、
と使われることが主である。
これはいかがなものであるか。

一方で、「リア」というと、「オフ」と似たような意味となり、それは「オン(ライン)」の対義語であろう。
いわゆる「オフライン」、「『実際に』知っている人」など、「インターネット上」ではなく現実世界で繰り広げられるものごとをさす。
インターネットは確かにバーチャルな世界である。
でも、バーチャルな世界に浸るのは現実に存在する生身の人間なのである。
バーチャルな世界でお買い物をしても、実際にお金はかかるし現実に商品は届くんである。

リア充、という言葉の意味に、インターネットは関係ないのかもしれない。
だけど、そもそもインターネット使わない人は「リア」という言葉は使わないはずなんである。
「リア充」という言葉には、暗に「インターネットを割とよく利用している人とは遠い存在」という意味があるように、私は感じる。

じゃあ、インターネットを通して知り合ったカップルは?
ネット恋愛は?
ネット恋愛だってなんだって、相手がキャラクター等ではない限り、現実の生身の人間だし、
リアルって、なに?

ネット恋愛の恋人たちは、今まで述べたことを踏まえると、リア充ではないということになる。

しかし世の中の人の2割くらいは、恋人がいるというだけで「リア充」とみなすでしょう。
1割の人は「それはリア充じゃないんじゃない」というでしょう。
あと1割の人は「よくわかんない」と言い、残りの6割の人は「そもそもネット恋愛は恋愛とみなさない」と言うんじゃないでしょうか。私の予想。

街行くカップルを無差別に「リア充」と呼ぶのは大変危険である。
多分、そもそも恋人同士でない場合が少なくとも20%くらいはあるんじゃないじゃろうか。あ、手を繋いでる場合はまた別ね。
そいで今にも別れそうな可能性もある。
少なくともどちらか一方に不満がある場合が多数だとは思う。
なんの問題もないお付き合いというのは、ほんとうに少ないと思う。

冒頭の「リア充爆発しろ」という言葉に戻ることにします。
私たちはどういう場合、「リア充爆発しろ」と思うのでしょうか?
多分、使う人は少なからずひねくれた気持ちで使うでしょう。
ひねくれた気持ちで使う、というと、「本当は恋人が欲しいけど、それに気づいていない人が無意識にそう思う」という考えが浮かぶかもしれない。
ところがどっこい、たとえ恋人がいたとしても「リア充爆発しろ」と思うときは思うのです。
そこで私は、私たちは「目につくカップル」に対して「爆発しろ」と思うと考えます。
この「目につくカップル」というのは、特に周りが見えていない恋人たち、である場合が多いと思う。ので周りが見えなくなりがちな人は気をつけてくださいね、実際爆破されることはないと思いますが、少なくともそう望まれていらっしゃいますよ。

そして合わせて、すなわち恋人が欲しいと思う気持ちが強い人が、もし恋人ができた場合「リア充爆発しろ」と思われる立場になる可能性が高いのではないか、とも思うのですが、どうなのでしょうか。
いや、周りが見えなくなりそう、っていう先入観ですw

私が言いたいのは、私たちが「リア充爆発しろ」と思う場合、すべての恋人をもつ人が無差別に対象になるのではなく、「目につくカップル」が対象になる…
が、これってカップルである必要性なくね? ってことです。
目につく人に消えてほしいと思うのは普通の心理です。
ですが何故対象がカップル限定なのか…
「リア充爆破したい」ではなく「リア充爆発しろ」なのにも注目したいですね。
あくまで他人任せなのですね。そこまで思うなら自分で爆破すればいいのに、とも思う。から私はなるべく「爆破したい」という表現を使うことにしています。

まぁとにかく、「爆発しろ」っていくら思っても実際爆発するようなことはほとんど起きません。
なので現実を見据えて、ひたすら他人に悪意を抱くのではなく、恋人いなくても生活を充実させる方がいいのではないでしょうか。

いろいろ書いたけど基本的に私はリア充=恋人がいる人、という使われ方には反対です。
恋人いなくても現実生活は充実しうるし、恋人いても苦しいかもしれない。
恋人がほしい人にとっては「恋人がいても問題がある」というのは「贅沢な悩み」だと言われるかもしれない。
でもなにが贅沢かなんて、その状況によって変わるものだし、恋人がいる人にとって、いない人がもつ悩みが「贅沢な悩み」かもしれない。
贅沢だろうがなかろうが悩みは悩み。むしろ「贅沢な悩み」で済ませるのは逃げである。
だからみんな仲良く協力して解決しましょう!(`・ω・´)

「恋人ほしいな」っていうのも、よくわからないんですけどね。
「特定の好きな人がいて、その人と付き合いたい」というならわかるんだけど・・・
私には、「恋人ほしいな」っていうのは、どちらかというと限りなく「誰でもいい」に近いように感じられて。
もちろん、本当に誰でもいい、というわけではないのはわかっているんです。本当に誰でも良かったら危険です。
だけど、「ある条件を満たせば誰でもいい」という状態は、「特定の好きな人がいる」人からしたら、「誰でもいい」に限りなく近い状態だと思います。
私は、自分は「(恋人ほしいと常日頃から言っている人と比べて)恋人をあまり欲しがる方ではない」と思っていますが、たまに、精神的に弱ったときや、そのほかにもふとした瞬間に「いるといいな」とは思いますよ。
だけど、「ある条件を満たせば誰でもいい」という状態の人は、もし恋人ができたとして、本当に好きになれるのだろうか?
「恋人がいる自分」を好きなのではないか?
とか考えたりするわけです。
実際に私はそういう状態になったことないから、なんともいえないけれども!

っていう独り言。
長い上にまとまってないな。

あとどうしても街中で目につくカップルに対して「リア充爆発しろ!」って思っちゃうときは、
「もしかしたら、この人たちは遠距離恋愛で、今は限りある貴重な逢瀬の時間なのかもしれない」と思うとちょっとほくほくしますよ。え、しませんか?

あ、ここまでいろいろいっておいてなんですが、今日の本当の疑問は
「レディー・ガガはどの要素がレディーなのか」
ということですので、よろしければご意見ください。私にはまったくわからないです。

そんな今日この頃。
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仕事と私どっちが大事なの?
2010-02-01 Mon 00:45
仕事と私どっちが大事なの?
っていう人の心理ってどうなのでしょう><

幸運なことにそんな話は実際聞いたことがないのですが、でもやっぱりよく聞く話であるのはよくあることだからなのでしょうね^^;

一般的にはこれ女の人がいう台詞とされているみたいですけど、私は実際男性から同じようなことを言われたことがあるので・・・やっぱり先入観っていけないですね><
まぁ仮に女の人がいうとして。

そいだらその女性は、やっぱり「自分は仕事よりも大切にされるべきである」って思ってるわけですよね。
なんだかそれって男性にとっては悲しいお話である気がしますが・・・
やっぱり寂しくても言ってはいけないことだと思います><
問われたら男性は「どっちも大事だよ」あるいは「仕事」ときっぱり言ったほうがいいと思いますがどうなのでしょう??
そもそも誰もこんなこと問うべきではないのでしょうね。
あまり相手に寂しい思いをさせないことも大切ですね。
恋愛って難しいですねー。
いや、今現在言うつもりとかはまったくなくて、ふと思い立っただけなんですけど。

「仕事と私どっちが大事なの?」って問う人って、
仕事のほかにもいろんなことを自分と比較させて、で比較対象としたものを切り捨てさせていくのではないかと思って・・・それってとてももったいないことだなーと。
必要以上に何かを失う恋愛ってあまりよくないのではないかな、という私の主張。
・・・といっておいて私も寂しがりなんで、なにかいらないことを言わないように気をつけます(笑
それだけ。
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ち よ こ れ い と ♪
2008-12-04 Thu 19:24
んー、
朝はすごくすごーく気分が憂鬱すぎて、「あー鬱週間きたなぁ」と思っていたのですが、学校についたら治りました♪
きっと私には鬱になっている暇などないのですね!!
嫌なことがあったら寝ましょう、そうしましょう(・ω・)

かくて最近は・・・現代文の授業=お昼寝♪
ひざかけがあれば、もっと気持ちよーく寝られるのかもなぁ、とか考えております。
どうしても、ブレザーを着ていると、苦しくなってしまうんですよ。。

こんな私でも最近はなんだか生きるのが楽しいのです♪
そして、それが、理由もなくいいことに思えて仕方がないのです!
もちろん、多少は、死は美徳だと思っていますよ。。
でも!生きている以上は、やっぱり、死にたいと思うよりも生きたいと思う方が、絶対幸せだと思います!!
だから生きてて楽しいのはとてもいいこと(`・ω・)b

死んだらどうなるんでしょうね・・・って考えたり、して。
基本的に私は無神論者なんですけれどもね。
でも都合のいい時は「神様」なんてワードを引っ張り出したりします(笑
無神論者である以前に、ご都合主義ですので!
その私の「ご都合主義」は、とてもいい加減でわがままです。
基準が、何に対してか、とか、そのときの気分によって変わってしまうし。
だけど、そういうものの事例のすべてを総動員して統計にまとめたら、きっとなにか法則が浮かび上がってくるのだろうなぁ、だって今私は一人にまとまっているから。

話を戻します。。
まぁ、無神論者なのは、「だって何か信じたとしてもなにもならないじゃん、なにも起こらないじゃん、普通に死ぬじゃん」ってことです。かいつまんで言えば。。
これは私の勝手な偏見ですが、宗教っていうのは、死に対する現実逃避だと思うんです。。
でも、私は、死に対してはちゃんと向き合いたいなって思っていて。
もちろん私も、死は怖いです。なぜなら、今死ぬのは嫌だから。

それで、死と向き合った先に、「死が怖くなくなる」なんていう結論はないかもしれない。・・・でも、あるかもしれない。
どちらの結果が出たとしても!!もちろん誰も悪くない、誰も責められないのがわかる、だから私は安心して向き合えます。
例えば、ある宗教を信じている人がいて、その人が、死が怖くて必死で宗教を神様を信じて・・・でも結果としてやっぱり怖かったら、その神様をきっと責めるんでしょう?
そんなのは悲しすぎるなって。
そんな結末は嫌だなって思って・・・どうせならば、誰かを恨みながら死ぬよりも、楽しく生きさせてくれた誰かに感謝しながら死にたいし・・・

結論として、私が死んだら、私にとってはなにもかもが、友達も家族も音楽も好奇心も、宇宙も月も白も黒も、何もなくなるってことでいいと思っています。
本当は・・・語弊をおそれずにいうならば、私が消えればすべてが消えると思っています。
だから、死んだ後のことは、誰が悲しむとかそんなのは関係がないと思っています。
自己中心的でも、私はそう思ってしまうんです。。(´-ω-`)
ただこの思想の不十分な点と言えば・・・私が、親が悲しむ、と思うと、今一歩しに踏み出せないというところですかね。。

そんなことを考えていますー。
なんか・・・意見とか反論とかあったらコメントお願いします><

明日からテスト。
まぁがんばりますよー。
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| ice cream dropped. | NEXT
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