嫉妬は恋じゃあない。束縛は愛じゃあない。ただの女の子の日記。
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例によってノート復習。
2012-01-17 Tue 22:01
今回は明後日のテスト、教育心理学の。
明日バイトなんですものw

私たちは、心は、個人的なものだと考えがちですが、
実は心は他者との関わりの中で発達していく、社会的なものなのです。
何か悩みがあるとき、個々人の内側に原因をつきとめようとすることが多いですね。
なんでも人のせいにしろというわけではありません。
そうではなく、個々人に生理的な欠陥はないよということです。らしいです。

ノートまとめだと日本語おかしくなりますね!

でも、私たちの、体のほかの目に見えない部分は、言葉によってできています。
だから言葉を覚える前の小さなころの記憶は残らないし、
「残っている」という人は、周りから「あなたは小さいときこうだったんだよ」という刷り込みが記憶になってい
るらしいです。
生前の記憶があるっていうひとはどうなんだろうね。
科学的に言えば、嘘なんだろうけど・・・。
まあでもすべて科学に一刀両断されるのも味気ないですよねー。
でも、感情ですら言葉でできている。
「ああ、なんだろう、この気持ち」と感じたとする、そのときはもやもやしている、そのあとで、「あ、私・・・さびしいんだな」と思うと、すーっと体が楽になる。みたいなこと、あるんじゃないかと。
さびしい、楽しい、悔しい、うれしい、私たちは感情を表すいろいろな形容詞を持っています。
それがいつか「ヤバい」の一言になったら?
私たちは自分たちの気持ちをヤバいかヤバくないかでしか把握できなくなる・・・かもしれませんね?
それっていいのかなぁ。よくないなぁ。

上記のまとまりはほとんど私のノートではなく考えです。

日本にもどんどん増えてきているのが、移民してきた方々。
日本は国籍を取りにくいことをはじめ、制度的にも文化的にも「外国から来た人が日本人になりにくい国」なのですが。
外国からやってきて、日本に住んでいても、日本語が話せていても、読み書きができない人も実はたくさんいるようです。
言葉には2種類あります。勉強のときに使うような、学習言語と、生活の中で使う生活言語です。
日常会話には全く問題がないように見える人でも、実は様々な原因によって読み書きができない人もいます。
日常会話に不自由がなさそうだからこそ、見落とされているという側面もあります。

日本で生きていて、読み書きができないと、仕事もあまり続けていくのは難しいし、子どもを育てるうえでも、学級通信などを読めませんし、宿題を手伝ってあげることもできません。
さらに子どものほうが親よりも日本語ができるようになってくると、母国語を忘れていくことも多く、親子で使う言語が違ってくることがあるそうです。
お互いに言語の習得にいい影響を及ぼさないのはほぼ間違いないのではないでしょうか。

また、教育、と聞いて、イメージするのはどんなことでしょうか。
親にしかられる様子を思い起こす人もいれば、学校の教室を思い出す人もいると思います。
教育そのものは、上から下へと行われるものなのでしょうか?
学力とは学ぶ力と書きますが、「学ぶ力」は本当についたのでしょうか?
教育は本来学ぶ力を引き出すためのものであるはずなのに、なかなかどうして、学校教育においてはそうはいっていないようですね。

理想論ですけど、理想論なんですけどね。。。
理想論がないと状況は動かないし。。。

今の教育の課題は・・・まず子育ての環境を整えるという点も大きいでしょう。
シングルマザーの方だと、保育園に子どもを預けて正規雇用で会社に入ろうとすると、とても大変なのだそうです。
保育園は「働けるなら預けていいですよ」、会社は「預けられるなら働いていいですよ」で、お母さんは板挟みになってしまうそうです。。。
また、国からの補助金の入り方も日本は古風な文化を保っていて、「家」にお金が入るのですよね。
私もそれが当たり前だと思っていたのですが、別のある国では「子ども本人」にお金が入ります。
それを聞いてとても画期的だな!と思いました。
国の手当ても、「家」単位で環境を見て、個人的な環境が悪くても「家」の環境が良ければ(収入は少ないけど親は健在で稼ぎがある、など)もらえないケースがたくさんあります。
それってどうなんだろう?
育つのは子どもなんですよー!
保育施設完備で働ける場所ってなると水商売系になっちゃうじゃないですか。
水商売を一概に悪いというわけではないし、水商売と子育ては両立だって可能だと思います。
そうではなく、本当はしたくないのに状況を考えると水商売しかできないのってどうなの??と思うのです。

でも日本の財政も厳しいですものね。一番最初に切られるのは未来への投資なのだそうです。それも悲しい。
教育と福祉にもっとお金を回してください。お願いします。
そして中途半端に西欧の文化を取り入れて部分部分保守的なのはやっぱりいかがかと思う。「家」に補助金が下りるっていうのもそうだし。
子どもにもっとお金かけろーい。けちるなよー。
国会議員さんはきっと自分だって子どもの教育費にはお金をかけたいでしょ?なんで国単位だとそれができなくなるん?

また、日本では、「貧困な人は自業自得」みたいにいう人も多い。んじゃないかな。
日本だけとも限らないですが、でもやっぱり他人事の人が多いですよね。
「低所得者の生活保護が税金で賄われるのは納得ができない」と考える人も多いですが・・・
生活保護を受けずにその人たちが暮らしていこうとすると、どうなるのでしょうか。
犯罪率が増えたりして、その人が刑務所で生活すると、かかる税金はどちらのほうが多いでしょうか。。。

日本は、「一度コケると立ち上がるのが非常に困難な国」だと教授が言っていました。
つまり一度「負け組」になると、二度と「勝ち組コース」には戻れなくなる、と。
生活保護の受給者が負け組であるというつもりではありませんし、私個人的には勝ち負けにこだわるのは非常に嫌いですが、日本の貧困層という意味で・・・一度生活保護を受けると、その人は生涯生活保護費を上回る収入を安定して手にすることは不可能である、と言われるほど。
真偽は私も存じ上げませんが・・・。
でもそうであってもおかしくはないなと思います。

大切なのは、自分が何とか勝ち組の中で生き残っていくことではなく、もっと社会を広く見据えて、「何度転んでも大丈夫。生きていけるよ」と安心できる社会にすることなんじゃないかなと思います。

今日、情報処理の授業で「もののけ姫」を鑑賞したのですが、最後のほうで、文明に頼って生き、シシ神を殺そうとした人々の住んでいたところ(タタラ場)が燃え、なくなってしまいます。
そこで「ああ、タタラ場が・・・。」とうなだれる男性に、その女房が「生きていればなんとでもなるさ」みたいなことを言う・・・シーンがありませんでしたっけ???
また、シシ神の首が取られ、朽ちていく森を見て嘆くもののけ姫、サンが「もう終わりだ。なにもかも。森は死んだ。」というのに対し、アシタカが「まだ終わらない。私たちが生きているのだから。力を貸しておくれ。」というシーンは印象的ですね。
このもののけ姫という作品は、昨年の東日本大震災の後で見ると、また別の感想を持つものですが、
今回は文明と自然の共存とかは一旦置いといて・・・
絶望的な状況におかれたとき、「生きていればなんとでもなる」と前向きに、今の社会ではなれるでしょうか??
自分が生きていける環境がないうえに、将来の展望もない中で。
決して貧困でなくとも、将来を悲観視してしまうこの世の中で。

「これって教育心理学?」って思うかもしれませんが、
だってこんなことがノートに書いてあるから仕方ない!!
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