嫉妬は恋じゃあない。束縛は愛じゃあない。ただの女の子の日記。
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僕は普通です
2012-04-23 Mon 10:01
部屋のお掃除をしています。
掃除機をかけて、クロゼットをどかして、裏や下の埃を取り除く。
終わった時部屋を見ると、10分前より輝いて見える、なんていうことは全然なくて、
少しすっきりしたかしらという程度。
そしてそのすっきりしたのは、箪笥の上のぬいぐるみたちが今はベッドの上に避難をしているから。

いらないものを全部捨てたい。
しかしそれは少しリスキーだったりする。精神的に。
なにが必要であり、なにが必要でないのか、その時点でわかっているものとそうでないものだと、そうでないものの方が多い、と私は思う。
だから、「これはもういらないな」といって捨ててしまうのは、未来の可能性を捨ててしまうことと同じような気がするのです。
でも、何か捨てるということは、何かを受け入れる準備をすることでもある。
だから、厳密にいうと、未来の可能性を捨ててしまうというよりは、違う未来を受け入れる準備をしているという方が、近いのかもしれない。

でも、違う未来はいつ来るかわからないし、目先の未来は安全そうに見えるかもしれない。
かくかくしかじかの事情があって、物を捨てるのが難しいことがあるようですね。
どんな未来がくるかなんてわからないし、
いろいろなものを捨ててしまっても案外未来というのは変わらなかったりする。

私のとある先輩は、
「人生はなるようになる。
でも、逆に言うと、なるようにしかならないんだよ。」
とおっしゃっていました。
この言葉をどう解釈するかは自由ですね。解釈しようとしないのも、大いに自由です。

なくてもよい、もしくはない方が良いなにかにとても執着している場合、
捨ててしばらくはとてつもなく辛いかもしれない。
でも長い目で見れば、それでよかったと思う日がいつか来るし、
次に同じことが起きても捨てる勇気を持てる。
そしたら案外未来は変わらない。
そこで捨てられないのは、
もしかしたら助言をくれた人や、自分の理性のことを、心から信じきることがまだできないでいるのかもしれない。

なにかを捨てるのには練習が必要だし、
なにかを大切にするのも練習が必要だし、
自分を整頓するのにも練習が必要。
全部、練習、練習、練習。
そして成長は目に見えない。

いらないもの、と、無駄なもの、は、違うと思っている。私は。
無駄なものもいらなくなかったりするから。
人によって「無駄」も「いらない」も定義はそれぞれだけれども、もしくは定義なんてするまでもないあやふやなものだけれども、いらないものは本当にいらないのだと思う。いらないものがいるというのは日本語としておかしいし。
ただ無駄なものがいらないかというと、無駄なものがあるから落ち着くこともあるし、無駄なものがあるから、無駄じゃないものが引き立つこともあるし、もちろん無駄であり、かついらないものもあるだろうと思う。ただ多くのケースにおいて、無駄なものは豊かさの象徴である、から、きっと無駄なものが何一つないと不安を覚える人は多いのではないでしょうか。
私なんかは、そうだな、無駄にたくさんアクセサリーがあったりする。
極論で言えば、一つずつでいいはずなのに、もしくはつけなくたっていいはずなのに、あって、その一つ一つはどれもいらなくない。
服もそう。考えようによっては、生活するうえで不自由なく暮らせる必要最低限以上、のものは、無駄だともいえる。
しかし無駄は大事である。精神的にも、社会的ポジションの象徴、つまり、見栄のためにも。

なーんか難しく考えてたら頭おかしくなりそうだなぁー
ただ部屋掃除してただけなんだけど。

とりあえずぬいぐるみどうしよ。
この子らこそ、無駄、だけどいらないかと言われると・・・微妙なラインなのです。
部屋のレイアウト的にはいらないんだけどねー。


好きな曲をちょっと貼ってみます。
未来の話をしていたら、聴きたくなったので。



こんな雰囲気が好き。
そんな今日このごろ。
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